とちぎコープの広報誌「コープデリ通信」2025年2月号

とちぎコープの組合員広報誌「コープデリ通信」をご紹介します。とちぎコープ生活協同組合


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エピソード52伝える大切さコープデリグループの組合員数は約540万人。組合員の皆さんの数だけ、物語がある。その物語を毎月一つお届けしていきます。描いているのは皆さんのくらしとコープデリの接点。あなたの物語はどんな物語ですか。illustration:MaikoDake301945年8月、広島と長崎に原子爆弾が投下され、多くの命が失われた。そして世界では今も戦火が絶えない。戦争や核兵器の恐ろしさ、平和の大切さを学び、次世代に継承するため、コープみらいではヒロシマ・ナガサキ・オキナワへの「平和の旅」を実施している。組合員やその家族が被爆地や戦跡を訪れ、自分の目で、耳で、肌で感じる取り組みだ。2024年8月に開催された「ヒロシマ平和の旅」には組合員ら人が参加。千葉県成田市に住む明子さんも、小学5年生の娘さんと2人で参加した。理由の一つは、シベリア抑留を生き延びた祖父。おしゃべりな人だったが、戦争のことは亡くなるまで一言も話さなかった。また、明子さんは高校生のときに修学旅行で広島平和記念資料館を訪れたものの、悲惨な内容に気分が悪くなり、語り部の話を最後まで聞けなかったことがずっと心残りだった。そして、娘に戦争のことを知ってほしいという気持ちがあった。「昔は8月になると、戦争をテーマにした番組がたくさん放送されていましたよね。でも最近は全然やらないなって。娘に映画垂るの墓』を見せたいけれど、た『火ほここのところテレビで見た記憶がない。知る機会が減れば、子どもたちは戦争の事実から余計に遠のいてしまいます」………§………2泊3日の行程は、平和記念資料館の見学、千羽鶴の奉納、碑めぐりなど盛りだくさん。その中で、母親が被爆したという家族伝承者の話が明子さんの印象に残った。「日常を奪われて家族が死ぬ。それが突然起こるのが戦争」という言葉、日本は加害者でもあったこと、亡くなった日本兵の大半は戦闘ではなく餓死、病死、自殺で命を落としたこと。高校生の頃とは感じることも違い、一つひとつが心に響いた。終戦の4年後にシベリアから帰国した人の話には、祖父の姿が重なった。「向こうではたまに与えられるわずかな食事もジャガイモだけで、だから祖父はジャガイモが大嫌いなんだと祖母が話していたことを思い出しました」一緒に参加した娘さんは、「最初は旅行かな?と思ってた」と笑う。「でも、いろいろと知ることができて良かった。焼け残った小学校の校舎の、爆風で吹き飛ばされた太鼓や壊れたドアを見て、原爆の威力が分かりました。お母さんにおんぶされたまま死んじゃった赤ちゃんもいると知って、かわいそうだと思いました。ウクライナとロシアの問題など、今起きていることと比べて教えてもらえたら、私たちにも分かりやすいと思います」………§………得たものは学びだけではない。参加者とは同じ目的意識を持つ者同士で話が合い、楽しい時間を過ごすことができた。娘さんが同い年の女の子と仲良くなって、そのお母さんと話すようになり、4人で上野動物園にも行った。素敵な出会いにも恵まれた旅を「内容が凝縮された濃い旅で、娘を連れてきて良かったと思いました。戦争について何も話さなかった祖父の気持ちも分かりました」と振り返った明子さん。「実際に見て、知ったことがたくさんありました。これからの子どもたちにも、『知らないからいいや』ではなく『知らないから知りたい』と思ってほしい」と願う。戦争の記憶を次の世代につなぐこと。平和とは、伝え続けることなのかもしれない。過去の物語もこちらから読めますあなたのエピソードをお寄せください。コープ職員との心に残る出来事を随時募集しています。氏名・電話番号・組合員コードを記入し、郵便(〒336-8526埼玉県さいたま市南区根岸1-4-13コープデリ連合会コミュニケーション推進部宛)か、左記のWeb応募フォームよりお送りください。♦実際にあったコープに関わる人と人との交流を取材し、読み物の形にまとめています。登場する人物の名前は仮名の場合があります。イラストはイメージです。07


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