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エピソード56戦争のことを知る勇気コープデリグループの組合員数は約540万人。組合員の皆さんの数だけ、物語がある。その物語を毎月一つお届けしていきます。描いているのは皆さんのくらしとコープデリの接点。あなたの物語はどんな物語ですか。今年は被爆・戦後80年。次世代への継承が大きな課題となる中、コープぐんまでは2018年から子どもたち同士で戦争のことを学び、平和の大切さを伝え合う「ピースクラブ」に取り組んでいる。県内在住の小学4年生から高校生を対象に、5月から9月ごろまで全5回。地元の上じょうもう毛新聞社の記者に新聞作りを教わり、戦争関連施設を取材して記事を書き、学習した内容の発表会などを行う。作った新聞は宅配やお店で配布し、多くの人に平和の大切さを伝えている。………§………れん16かな高校3年生の瑠る那さんが、母の勧めで初めて「ピースクラブ」に参加したのは小学5年生のときだ。茨城県の予よ科練平和記念館を見学。海軍航空機のパイロットに憧れ厳しい5・条件をクリアして入学した1歳の少年たちが、終戦間際に航空機に乗ったまま敵艦に体当たりする特別攻撃=「特攻」で命を落としたことを知った。名誉ある制服に憧れた彼らが、どうして死ななければならなかったのだろう。戦争の歴史に初めて向き合った瑠那さんは、納得できない気持illustration:MaikoDakeちでいっぱいになった。意見交換や発表が好きな瑠那さんにとってピースクラブの活動は楽しく、翌年も参加。全国の生協の組合員やその家族が参加・交流する「ピースアクnヒロシマ」内で開催さションiれた「子ども平和会議」にも、ピースクラブメンバーとして2度参加した。中学以降も折を見て活動に関わり、昨年の夏には3度目となる広島で子ども平和会議に参加。「核兵器や争いごとをなくすためには」というテーマで話し合った。「小学生のときとは違い、核の抑止力などを知った上で答えを出すのはとても難しかった。でも、争いの芽を摘むためには、遠回りでも人々が普段から互いを思いやり、理解を深め合うことが大事だ、という話ができました。小さい頃から平和学習をしている広島の高校生とも話し、刺激をもらいました」んら昨年11月に修学旅行で訪れた鹿児島県の知ち覧特攻平和会館には、特攻前日に撮られた写真が展示されていた。予科練の練習生と同じく、今の瑠那さんより若いくらい。翌日には死んでしまうのに、みんな笑顔だった。「怖いのを我慢して、名誉のため、家族を守るためと信じて飛んだのだと思います。特攻への反論は、今だからできること。当時は命令が出たら行かなきゃいけなかったんですから」………§………自分とつながりのある人のことを考えると、戦争を自分に近い出来事として捉えることができるのかもしれない。「私のひいおじいちゃんも、戦争に行って帰って来なかったそうです。私たちが今こうして生きていられるのは、当時を生き抜いた人たちのおかげ。戦争のむごい光景や出来事を知るのは怖いことだけど、みんなが忘れてしまえば、きっとまた同じことが起こってしまう。知ろうとすること、伝えようとすることが大事だと思う」と話す瑠那さんは、小学校の教員を目指している。多くの体験を通じて平和の大切さを知る瑠那さんは、それを伝える勇気も持っているに違いない。過去の物語もこちらから読めますあなたのエピソードをお寄せください。コープ職員との心に残る出来事を随時募集しています。氏名・電話番号・組合員コードを記入し、郵便(〒336-8526埼玉県さいたま市南区根岸1-4-13コープデリ連合会コミュニケーション推進部宛)か、左記のWeb応募フォームよりお送りください。♦実際にあったコープに関わる人と人との交流を取材し、読み物の形にまとめています。登場する人物の名前は仮名の場合があります。イラストはイメージです。07